中村昇平; 鈴木赳生
関西社会学会第74回大会 2023/05 Oral presentation 京都先端科学大学 関西社会学会
本発表は、R.ブルーベイカーが提起した認知的視座(cognitive perspective)を中心に、ミクロな次元の民族現象を脳の認知機能に還元して分析する視点を批判する。その上で、情動(affect)の視点の有用性を明らかにすることで、感情や感覚が民族現象を考察する際の中心課題のひとつであると示すことが目的である。
人種エスニシティ研究においては、F.バルト[1969]の議論を受け、構築主義的視点が支配的なパラダイムとなって久しい。本質主義的視点を批判し民族境界の流動性に注目した構築主義的視点は、民族集団の定義が状況依存的に構築されるものだと看破した[Wimmer 2013]。しかしそこでは、虚構であるはずの「民族」がそれでもなお個々人に具体的な実体のごとく経験される現実が説明されない。
この点を批判し代替となる理論的方向性を明確に打ち出したのが、ブルーベイカーの認知エスニシティ論だった。彼は、境界への注目も本質論と同じく、最終的には民族を集団的に実体視する「分析上の集団主義」(analytical groupism)の問題を抱えていることを指摘した。認知的視座はこの問題を乗りこえ、実生活における個人の経験の次元で民族認識が構築されるミクロなメカニズムを解明するべく提起された。
しかし、集団の区別(差別)に関する人間の認識を脳の認知機能に還元する視座に立ち、非構造化インタビューや言説分析を中心とするミクロな民族現象の分析[Brubaker et al. 2006]は、実際のところ、認識論的な次元にとどまらざるをえない。言い換えれば、いかなる文脈でいかなる言葉がいかなる固定化した語りと結びついて作動するかという、「民族」の言語的カテゴリ化機能の側面しか説明することができない。他方で人文地理学の都市論では、人種エスニシティの分析に情動の観点を取り入れ、物質性と身体性に着目することの必要性が論じられてきた[Thrift 2007]。しかしそこでも、事例の分析や記述の方法が広く援用可能な形で整理されてはこなかった。
これに対して本発表は、脳の認知機能への還元主義を批判し、情動の概念を手がかりとして感情や感覚の次元に踏み込んだ分析の方針を提起する。実生活の中で感情や感覚が喚起される場面を考察する際に、明示的に言語化して認識される側面だけでなく、身体的・物質的側面に着目する必要性を論じる。インドネシアとカナダの事例から、生活の中で情動が喚起される経験が契機となって集団への帰属意識や愛着が醸成される過程や、情動の喚起が集団的差異の認識に直感的根拠を与える過程を分析する。この分析をとおして、民族が人びとの心を捉える過程や民族の区別が形成されるミクロな過程を、具体的に記述するための方法を提示する。
Barth, Fredrik (ed.), 1969, Ethnic Groups and Boundaries: The Social Organization of Culture Difference, Universitetsforlaget.
Brubaker, Rogers, 2004, Ethnicity without Groups, Harvard University Press.
Brubaker, Rogers, Margit Feischmidt, Jon Fox, and Liana Grancea, 2006, Nationalist Politics and Everyday Ethnicity in a Transylvanian Town, Princeton University Press.
Thrift, Nigel, 2007, Non-Representational Theory: Space, Politics, Affect, Routledge.
Wimmer, Andreas, 2013, Ethnic Boundary Making: Institutions, Power, Networks, Oxford University Press.